礼拝メッセージ
2004年7月18日

「神様の前に正しく」
ガラテヤ人への手紙6章

先週はガラテヤ人への手紙5章から、「きよめ」についての学びをしました。今週は具体的にどのような行動をとればいいのかということと、どのような信仰を持っていればいいのかを6章から学びます。

1-2節 誰かがあやまちに陥っている時に

  • 御霊の人として、御霊の実である柔和をもって接して正す。
  • 自分自身も同じあやまちに陥らないように気をつける。
  • お互いが助け合って生きていく。

3-5節 自分自身を見つめる

  • 本当には立派ではない自分を直視する。
  • 他の人と比較することによって自分の正しさを確認したり、自分の価値を考えるのではなく、神様によって与えられているあわれみ、恵み、赦しをもとに自分を見る。
  • 私たちはそれぞれ、神様から与えられている使命、義務がある。それを行う力を与えてくれるのが神様。

6節 御言葉を教える人、教えられる人
「教える」という役割を受けているものがいて、「教えられる」という役割を受けている人もいる。物質的なもの、霊的なもの、精神的なものなど、良いものを分け合うように。

7-10節 肉から滅び、御霊から永遠の命
自分の何かの行動によって救いを受けられると思い、自分の力だけに頼っていても、その人は結果的には滅びに向かっているだけです。逆に聖霊によって信仰を持つ者は救いを受ける。だから、聖霊によって良いことを行っていきましょうと勧めている。私たちは状況によっては、善を行うことが空しく思える時もあるでしょうが、神様は必ず私たちに報いてくださる方だから、信仰を共にする兄弟姉妹に、また全ての人に善を行うように勧めている。

11-18節 割礼の有無は関係無く、福音によって新しくされていること
割礼(かつれい):男性性器の亀頭を覆っている包皮を切開、もしくは切り捨てること。神とアブラハムとの契約のしるしとして、イスラエルの男子は生まれて8日目に割礼を受けることが命じられた。さらに神は、モーセを通して割礼を儀式として制定した。(いのちのことば社の「エッセンシャル聖書辞典」から)

ガラテヤの信徒の人たちにクリスチャンになるならば、旧約聖書の教えに従って割礼を受けなくてはいけないと教える人がいた。パウロはこの教えに対して、それは行動によって救いを受けると教えているようなものであり、間違っていると反対した。割礼を受けた、受けていないではなくてイエス様が十字架に架かったのは、私の罪のためだと認めて、救い主として受け入れて、神様に新しくしていただくことによって救われると教えた。

人はすぐに何かをしたという、行動を誇りたくなるのですが、十字架以外に誇りとするものはない。なぜならば、私たちの救いは私たちが何か正しいからではなくて、イエス様が十字架に架かってくれたからです。私たちがしなくてはいけないことは、自分が神様の前にあっては正しくなく、罪ある者であることを認めて、イエス様を救い主として受け入れることです。割礼は肉体の一部分だけを切り落として、神様との約束のしるしとしました。これが古い約束、旧約の一部です。新しい約束は、私たちの一部分を切り落とすのではなく、イエス様がご自身の全てを十字架の上に架けてくださいました。これが新しい約束のしるしです。私たちはこの約束を信じるようにと招かれています。

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