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礼拝メッセージ
2005年1月16日
「恵みと平安」
コリント人への手紙第一1章1-9節
ローマ人への手紙から始まって、ピレモンへの手紙までの 13 個の手紙の最初の挨拶にパウロは「恵みと平安があるように」という祈りを書いています。今回はこの「恵み」と「平安」というものについて学びたいと思います。
恵みとは
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色々なものを指すことができる言葉なので、やたらと使われることがある。
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不気味なキリスト教用語として多くの日本人に敬遠されてきた。
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「恵み」を私はこう定義している。「私に価しない、一方的なプレゼント。」
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自分の命や太陽の光から始まって、本当に色々なものが恵みとして与えられている。
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パウロが「恵み」という言葉を使うときは、「福音」のことを指しているようだ。福音とはイエスキリストの十字架の死よって、私達の罪が神様に赦されて、神様の子とされる約束。これは神様が一方的に私達を愛するゆえに与えたもの、つまり「恵み」によって与えられたもの。「恵み」は福音の根拠。
平安とは
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平和とも訳される言葉で、聖書の中で繰り返し出てくる言葉。
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聖書の中で使われている「平和」の一つの意味は争いのない、戦争のない状態。もう一つの意味は人の内側の平和。恐れ、不安のない心の状態。
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私達はイエスを救い主と受け入れ、聖霊を受けるとこの「平和」を体験する。
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旧約聖書から一貫して心の平和についての大切さが教えられている。旧約聖書では「恐れるな」と言う言葉が何度も繰り返し出てくる。
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イエスは降誕の時から、「平和」を与える者として認識されていた。〈ルカ2:14〉
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イエスの十字架の死によって私達は神様と和解した。神様との関係に平和を得た。(第二コリント 5:18 )そして私達の心も平和を得た。「平安」は福音の結果。
パウロのこの挨拶の祈りは、福音を余す所なく、受けられるようにと祈っている。
私達は福音を正しく理解しているか、もう一度確認してみよう。恵みによって与えられたものです。
私達を福音の結果を受けているか。私達は神様との間に平和を得て、心に平安を得ているはずです。
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