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礼拝メッセージ
2005年8月21日
「熱烈」
マタイの福音書 15章21-28節
大声をあげて「私をあわれんでください」とイエス様に向かって叫ぶ女性がいました。この人は約束の民(ユダヤ人)ではありません。当時のイエス様の弟子たちからすると、この女の人は「うるさい、うざい」存在でしかなかったでしょう。でも、イエス様はこの女の人の願いを聞き入れました。この話から先週に引き続き、熱心に祝福を求めることについて学びます。
約束の民(ユダヤ人)に遣わされた
イエス様は歴史上ただ一人の神様の性質をもつ人間であるということが、キリスト教信仰の中心にあります。そんなにすごい方であるなら、どうしてもっと多くの人に現れて、もっと多くの人に神様にしかできないと思わせる奇跡を行わなかったのかと疑問に思います。
神様の計画は本当に不思議です。旧約聖書創世記12章に出てくるアブラハムから約束の民が形成されました。この民族を通して神様はご自身を現わしました。そしてこの民族からイエス様が現れ、全人類に救いの計画が明らかにされました。
イエス様は約束の民に与えられた救い主
イエス様は旧約聖書に預言されている救い主として現れたので、旧約聖書を信じる者に最初に現れたことは不思議ではないことです。そのため最初はこの外国人の要望を聞かないと言ったのは、理屈ではあっています。しかし、これは信仰を試すための言葉だったのでしょう。この外国人は決して傲慢な思いはなく、イエス様こそが自分を助けてくれると信じていると伝えました。そして、イエス様はその信仰をほめて、願いを聞き入れました。
ほめられた信仰とは
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熱烈だった。この方が助けてくれるとまっすぐに信じていた。
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おごり高ぶらない。自分自身をわきまえている。
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第一に神様がいるということは
聖書では神様を第一にしなさいと教えています。神様の教えに従うこと、神様を喜ばすことを第一に考えるようにということですが、それは問題が起きた時にも、第一に神様に問題を持っていくということでもあります。この方が助けてくれると信じることです。この時に、神様に大声で叫ぶかどうかは、あなた次第です。叫ぶべきだと思った時は、叫んでください。でもそれが絶対に必要なことではありません。以前学んだ、長血の女の話では、彼女も必ず癒されると信じていましたが、叫ぶという行動ではなく後ろからそっと衣のすそを触りました。
どうにもならない問題の時
私達の力ではどうにもならないという時に、私達はまず神様にその問題を持っていき、神様の助けを求め、結果を神様にゆだねることがいいでしょう。
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