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礼拝メッセージ
2005年10月30日
「神様に返す」
マタイの福音書 22章15-22節
イエスのことを良く思っていない人たちからのいじわるな質問の内容
当時、この地域はローマ帝国が支配していました。ユダヤ人たちの中にはローマ帝国に対して、好意的な人たちもいれば、好意的までもいかなくても一応協力しようとした人たちもいて、そしてまったく反対の人たちで、税金さえも納めないようにしていた人たちもいました。そして、この税金を納めないようにしていた人たちの多くは、宗教的にも熱心な人たちでした。イエスがローマ帝国に税金を納めることは律法(神様の教え)にかなっていないと言えば、帝国に対して好意的な人たちがイエスを訴えることができます。律法にかなっていると言えば、多くの宗教的に熱心な人たちからの支持を失うことになります。
イエスの答え
YESかNOの答えを出す質問をされたのに対して、イエス様はあいまいではなくて、はっきりとした答えであり、みんなが納得する答えを言いました。「カイザル(皇帝)に負い目のあるものはカイザルに、神様に負い目のあるものは神様に返しなさい」というものです。カイザルに負い目のあるものとは、当時の人たちが使っていた貨幣のことです。ですからこれを税金として収めなさいということです。一方神様に負い目のあるものとは、私達の全てです。私達は神様に創造されたものであり、神様が創造された世界にいるのですから、全てが神様に負い目があります。ですから、私達を神様に返しなさいと言っています。
神のものは神に返すとは(自分の全てを捧げるとは)
まず誤解されやすいことですが、全てを捧げるというのは、私達が神様のあやつり人形や、ロボットのような存在になることでは決してありません。もし、神様が私達にそのことを望んでいるのであれば、私達は最初からそのように創られたことでしょう。私達は自分の意志で捧げます。そして、捧げると言っても、この捧げる相手は私達を搾取する神様ではなく、私達を祝福する神様、私達に与える神様、私達のために命をかけてくださる神様です。
神様に喜ばれることをする。つまり、聖書に語られている教えを守ることが神様に全てを捧げるということですが、今回はいくつか具体的な例をあげて考えてみましょう。
- 神様との関係を大切にする。日々祈り、聖書に親しむ。週に一度の礼拝を大切にする。
- 神様と隣人を大切にする。他人に対して私達は正しい行動をとっているのか、時々自分の行動を振り返る時が必要でしょう。また自分の心の中の問題も、正直に取り扱う時間が必要です。
- 時間、労力、財産から神様の働きのために捧げる。お金を捧げることに関しては、聖書では収穫物の10分の1を捧げるように教えているので、現在の言い方で言えば、収入の10分の1ということになります。
神様に自分を捧げるというのは、信仰と意志の問題です。本当に神様を信じていなくてはできないですし、信じていても自分が意志を持っていなくてはできません。 |