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礼拝メッセージ
2005年11月13日
「いけにえと憐れみ」
マタイの福音書
9章10-13節
鈴木 光 (神学生)
今日の聖書箇所の状況
人気者のイエス様のもとに「罪人」と後ろ指される人々も集ってきた。イエス様は喜んで彼らと食事を共にした。それを見てパリサイ人たちは「なぜ?」と思った。
罪人って何? (11節)
聖書で言う罪とは「わたし達を創ってくれた神様に背いて生きること」です。「神様に従わない」「神様を疑う」「神様を無視する」「神様を信頼しない」など結局のところ、人はみんな罪人です。しかし、罪人にも二つのタイプがあります。
- 取税人・罪人タイプ…自分の罪を知っている。自分を罪人と認めている。分かりやすい罪のある人。
- パリサイ人タイプ…自分は「そんなに悪くない(どちらかと言えばかなりいい)」ので、罪人とは言えないだろうと思っている。あるいは、自分は「いいことをしている」ので、罪人ではないと思っている。自分を罪人とは認めない。
病気に気づかない病人は危ない (12節)
罪は病気にたとえられる。死(滅び)に至る病。
上記の罪人の2タイプに当てはめて、罪の病も考えてみます。
- 取税人・罪人タイプ…自分が病んでいると知っている。自分が病人と認めている。
- パリサイ人タイプ…自分は「そんなに悪くない」と思っている。自分を病人とは認めない。
気づいた時には(認めた時には)手遅れだったりします。
「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。」(13節)
いけにえ
「いけにえ」とは「誰かの代わりに神の裁きが下る物」のこと。
神様は裁く神です。なぜなら神様は公平で、公正で、誠実で、真実な方だからです。
よくある誤解は「神がいけにえを必要としている」というもの。実は逆で、「人間がいけにえを必要としている」。わたしたちの代わりに神の裁き(死)を受ける対象が必要。
旧約時代は牛。では今は…?
あわれみ
「あわれみ」とは「同じ立場になって相手の痛みを共に背負う」こと。
イエス・キリストは100%神様ですが、100%人間としてこの地に来ました。我々同様に、いや、それ以上に苦しみ・痛み・悩み・孤独・裏切り・罪の誘惑、などなどの困難に直面しました。しかし、最後まで傷のない(罪のない)いけにえとして、十字架にかかりました。
裁かないではいられないが、愛しているがゆえに自分が代わりに罰を受けた。
「わたしはあわれみは好むが、いけには好まない」の意味は、そういうこと。
「行って学んできなさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
あなたは招きにどう応えますか?
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