礼拝メッセージ
2006年1月1日

「元旦に」
イザヤ書 61章10節-62章3節

新年の抱負
よく年末に来年はこうしたいという抱負を語ります。「つまらないことで怒らないように」とか、「食事と運動に気を配る」とかです。私はこういう抱負を考えていくときに、クリスチャンとしてはローマ12章1節を毎年の抱負にしていくのがいいと考えました。自分を神様に捧げていくということですが、これはまず自分の意志が必要です。次に神様の助けが必要です。私達は神様に自分を捧げるという意志を持つことがあっても、その意志を持ち続けることが大変です。捧げた自分自身は文字通り「生きた」聖なる供えものですから、捧げる台があると仮定するなら、その台から飛び降りてきてしまうこともあるわけです。

具体的にどうすれば
続きのローマ12章2節では「この世と調子を合わせてはいけない」と書いてあります。そして「何が良いことで」、「完全であるのか」を知るために心を新たにしなさいと教えています。この世と調子を合わせないためには、この世の教え、あるいは自分の心の問題と、神様の教えがいかに違うかを学ぶ必要があります。神様の言葉はこれからも学び続けるとして、今日は心の問題を考える時を持ってみましょう。

  1. 自分が最優先しようとする願いは本当に神様に祈り続けていることなのか。その願いを神様に預けられているか。
  2. 自分を不安にさせるものは何なのか。それを神様に預けるように心がけているか。
  3. 明るみに出せない自分の行動は何か。
  4. 怒り続けていることがあるか。それを神様に預けるように心がけているか。

この一年を私はどう見るのか
人によっては否定的に「なるようにしかならないさ」と思っていたり、楽観的に「運が良ければ、いいことが沢山あるさ」と思っていたり、「自分の努力でどうにでもなる」と自分だけを信じている人がいるでしょう。でも、今日はここで神様を通してこの一年を見ることを覚えましょう。神様は私達に約束を与えています。そして、その約束を私達に与えようとしています。その約束は祝福の約束です。どのように祝福されるか、具体的なことは分りませんが、祝福の約束を受けています。

今日の聖書箇所の約束を通してこの一年を見よう
イザヤ書の後半部分には「罪」という問題のため、正常な関係を持てなくなっている神様と人との間に救い主が現れて、神様と人との関係が新しい祝福に満ちたものになることが何度も書かれていますが、今日の聖書箇所もその約束について語っています。この約束はイエス様を救い主として受け入れる全ての者に与えられた約束です。花婿、花嫁のように私達を祝福するという約束を通してこの一年を見てみましょう。

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