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礼拝メッセージ
2006年1月8日
「洗礼について」
マルコの福音書 1章4-11節
洗礼の意味
洗礼は心の中で自分は神様に従っていきますと思った時に、それを表明する儀式になります。この決意が無くて、ただ洗礼を受けただけでは意味がありません。洗礼は水の中に入った時に一度自分が死に、水の中から出てきた時に神様によって産まれ変わることを疑似体験するものと言われています。
イエスは洗礼を受ける必要があったのか
この聖書箇所は、バプテスマのヨハネという人が、当時の私達の言う旧約聖書を通して神様を信じている人たちの信仰が、衰退した状態なのを見て、本当に神様に従いたいと決意した人たちへ洗礼を授けていたところです。これはイエス様が宣教活動をする前に、民衆の備えの時になっていたと聖書では教えています。
イエス様は神のみ子として産まれました。神様の性質を持って産まれたのですから、神様への信仰がないとか、神様に従う気がないという問題は無かったはずです。では、どうしてこの方が洗礼を受ける必要があったのでしょうか。
イエス様は100%神様であったと同時に、100%人だった
私達は福音書からイエス様の奇跡をたくさん読みます。そうすると私達の印象としては、イエス様がまるでいつも水の上を歩いている人のように思えます。しかし実際にイエス様は人でもあったのです。100%神様だからその十字架での死は、この地の全ての人の罪をあがなうのに余りある重みがあったと言えます。100%人間であったからこそ、同じように十字架の死がこの地の全ての人の罪をあがなう価値があったと言えます。本当に悩み、苦しみ十字架でその命を捧げたのです。100%人間であったから、人としてイエス様は洗礼を受けました。
今日学べること
- イエス様を見習うこと。イエス様も肉の欲との闘いがあったが、常に神様のみ心を求めて、神様に従っていた。イエス様がこの地上で肉を取られたことによって、私達がどうあるべきかの良い模範となってくださった。
- 聖霊を受けること。イエス様が神様のみ心に従った時、聖霊を受けた。そして宣教活動が始まった。
- 洗礼とは何かをもう一度確認しよう。洗礼を受けていない人は、「洗礼を自分が受けるとしたら」と考える時にしてみては。洗礼を受けている人は、もう一度その受けた時を思い出して、信仰を持つ者として自分が神様の前にどのようにいるかを考える時にしてみては。
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