礼拝メッセージ
2006年1月15日

「私の体を通して主の栄光を」
コリント人への手紙 第一 6章1-20節

コリントというのは、地名です。現在のギリシャの南部にある港町で、パウロがこの手紙を書いたのが、およそ紀元55年頃と言われていますが、その頃は貿易などにも使われる重要な港町として発展していたようです。色々な神々が町で崇められていて、決してキリストの教えが広がり易いと思える状況ではなかったはずです。そういう意味では現在の日本に似ていると思います。コリントの手紙の特徴は、そのようなクリスチャンとして生きていくのに難しい場所にいるクリスチャンの人たちが、幾つもの問題を持っているのですが、そこでパウロが神様にあって問題を解決していけるように教えていることです。この手紙で扱っている問題はおもに6つに分けることができます。

  1. 徒達の中での争い、分裂騒ぎ。
  2. 道徳的な乱れ。
  3. 結婚に関して。
  4. 異教徒の世界で生きていく時に直面する問題。
  5. 信徒が行なっている集会での混乱。
  6. 信仰の基本になる教えがずれてきている人がいること。

これらの問題はどれも私達にあてはまる問題なので、一つ一つ注意して学ぶ必要あります。

今日の聖書箇所は道徳的な乱れの中で性についての問題
遊女と性関係を持つならば、あなたは遊女と一体になっていて、本来キリストを信じる者は神様と一体であるのだから、そんなことがあってはいけないという教えです。

性について聖書の教え
性は聖書の中で特別な存在として書かれていて、神様から与えられている祝福の一つです。旧約聖書にはレビ記18章など、幾つかの箇所で誰々と性関係を持ってはいけないと教えていますが、旧約聖書、新約聖書の全体を読んでいけば、結局は性についての教えは「結婚相手との関係を大切にすること。それ以外の人との性関係は持たないこと」となるはずです。

私の体がキリストの体
イエスの十字架の死を自分の身代わりの死として受け入れて、自分を罪ある者として認め、新しく神様との関係を求めた者のことを言い換えると、神様によって買い取られた者と言えます。その人は神様の所有する者です。神様の奴隷としてではなく、子供として所有された者です。そこで私の体はもはや自分のものではなくて、神様のものと言えるようになります。そして、私達の体に神様の霊、聖霊を迎え入れるので、私達の体自体を聖霊の宮と呼べます。

自分の体をもって神の栄光を現わしなさい
福音を伝える働きに参加できているとか、美しい讃美の音楽を奏でることができるとなると、自分の体をもって神の栄光を現わしていると思えるかもしれませんが、根本的にはそのように何か特定の働きをしていなくてはいけないのではなく、いつも神様に喜ばれることをしていることこそ、神の栄光を現わしていると言えます。あなたのおかれている状況の中で神様に喜ばれることをしているでしょうか。

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