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礼拝メッセージ
2006年3月26日
「恵みにより、信仰によって」
エペソ人への手紙 2章4-10節
私は「一番好きな聖書箇所は」という質問には、いつも今日の聖書箇所にあるエペソ2章8節と答えます。聖書それ自体が神様の言葉なので、その中で一番好きとか、好きじゃないとか言うのは変なことなのですが、この聖書箇所を私が好きなのは、私にとってこの真理を知ったことが人生最大と言ってもいいようなできごとだったからです。
恵みによって
「恵み」を私はこう定義している。「私に価しない、一方的なプレゼント。」自分が働いた報酬を受けるというものではなくて、神様からの好意によって与えられたものです。
信仰によって
信仰と言うと3つのことを通して信じることになります。
- 福音を知識的に理解しなくてはいけない。
知識的な理解は、学べばわりとすぐに最低限必要なことは理解できるようになります。
- 感情をゆだねること。
信じたからと言ってすぐに喜びがあるとか、満たされた思いになる人ばかりではない。私達は神様の約束を信じるのであって、感情的な喜びを信じるわけではない。
- 自分の意志として信じる。
私達は「信じよう」と思わなければ、信じられないわけで、自分が信じようと思うところ信仰が始まりますが、信じるというのはなかなか難しいことです。どうして難しいか、よく考えさせられる2つのことについて考えたいと思います。
- 信じ続けること。見えないものを信じ続けることは難しいことです。
- 自分ではなくて、神様を見続けること。人ではなくて、神様をみ続けること。私達の救いの約束は神様の恵みによることなので、私達がどのような存在であったとしても神様は私達に救いを与えます。もし、私達クリスチャン誰もが完全にキリストによって変えられた者だったら、信じ始めた人は信仰がますます強いものになると思いますが、実際にはそうではなくて、周りのクリスチャンに失望することがあります。大切なのは、神様を見続けることです。
良い行いをするために、キリストイエスにあって造られた(10節)
私達は良い行いをして命を得るのではなくて、私達が良い行いをするために造られているから良い行いをするのです。私達の造られた目的の一つが良い行いをすることです。その良い行いは神様によってすでに備えられている。
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