礼拝メッセージ
2006年4月9日

「受難」
マルコの福音書 15章6-15節

今日は教会の中では「しゅろの日曜日(英語ではPalm Sunday)」という日で、受難週の始まりの日です。しゅろの日曜日という名の由来は、イエスが十字架に架かる金曜日の前の日曜日にエルサレムに入ってきた時、多くの人が服を道に敷いたり、しゅろの葉を枝ごと切ってきて敷いて子ロバに乗ってやってきたイエスを迎え入れたことです。これは旧約聖書ゼカリヤ書9章9節の預言通りのできごとでした。

先週の聖書箇所の手前に箇所、ヨハネの福音書12章12-19節を読んでみましょう。この時イエスは神様からの預言者として歓迎されたのですが、金曜日の朝には助けられることなく、逆に十字架に架けろと多くの人に叫ばれてしまうのです。このことが起こることを知っていたイエスのエルサレムのために嘆く言葉が、ルカの福音書の19章41-42節にあります。

今日の聖書箇所から
この聖書箇所は十字架に架かった金曜日の朝の話です。ここから知るべきことを。

  1. 当時のユダヤ人たちだけでは、死刑を執行できなかったので、本来は嫌っているローマ帝国の力を使って、イエスを十字架に架けた。
  2. イエスを「十字架につけろ」と叫んだ人がいます。日曜日にエルサレムに迎え入れた群集は助けに来ません。もしかしたら、その群集の中にいた人もこの「十字架につけろ」と叫んでいた群衆の中にいたかもしれません。弟子たちも助けにくることはできませんでした。
  3. イエスはここで争うことをしませんでした。
  4. 十字架に架かるという肉体的な苦しみだけではなくて、イエスは侮辱を受けたり、誰も助けに来ないという孤独感などの精神的な苦しみも受けました。

この受難週に覚えておきたいことを四つ

  1. いつも教会で語られてきている福音です。本来私達が受けるべき罪の罰をキリストが受けたということです。私の身代わりになってくれる人がいたのです。
  2. 私達もこの地上で色々な苦しみがあるが、十字架に架かるという苦しみを体験されているイエスが、私達と共にいてくださる。この方は私達の苦しみをよくご存知です。
  3. イザヤ書53章11節「彼は自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」この受難週はただの悲しい時、苦しみを覚える時ではありません。イエスはご自分が受けた苦しみを見て満足しました。私達もこの苦しみの意味を理解して感謝して、喜ぶときです。
  4. イエスの苦しみは、十字架の死では終わりません。金曜日に死にましたが、日曜日に復活します。復活という圧倒的な勝利と希望が続いています。私達の苦しみにもそれはあてはまります。

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