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礼拝メッセージ
2006年4月23日
「復活を信じた」
ヨハネの福音書 20章19-31節
先週の学びから(復活から学べること)
- 死をも支配する神様がいること。
- 死をも支配する神様が予告どおりイエスを復活させたことを通して、イエスが本当に神様から遣わされた救い主ということが分るようにした。
- 死という私達にはどうにもできない問題にも、勝利する力があることを教えてくれた。
- 信じる者は、イエスと同じように復活することを、私達が確信できるようにした。
弟子たちにあらわれたイエス
弟子たちは自分たちもイエスの弟子として捕まるのではと心配で、閉じこもっていたようですが、そこに突然イエスが現れました。弟子たちはイエスから復活のことを予告されていました。マグダラのマリヤは弟子たちに復活したイエスに会ったと伝えました。それでも、彼らは信じられなかったようです。そして、他の弟子たちが全員見たと言われても、信じることができなかったトマスもいます。やはり、復活を信じるというのは難しいようです。
イエス様が弟子たちに伝えたかったこと
あなたがたはこれから聖霊を受けて、イエスキリストの福音を伝えに行きなさいと伝えました。その時のイエスの言葉が、「父が私を遣わしたように、私もあながたを遣わします」です。実際にはこの遣わされるのは、ペンテコステの日まで待たされるのですが、今日はここでクリスチャンである一人一人は、イエスによってそれぞれの場所に遣わされているという約束を覚えましょう。これは大切な約束です。私達はこの喜びの知らせを伝えていくことができるのです。そのために私達は聖霊を受けなくてはいけません。私達も伝えていくという思いを持たなくてはいけません。
平安があなたがたにあるように
このイエスの挨拶の言葉は、全ての人に神様が望んでいることです。弟子達の心には、恐れ、不安、失望がありました。神様は私達から、それらを取り除きたいと思っています。平安は神様の性質の一つです。旧約聖書では「恐れるな」という言葉が何度も出てきます。神様は私たち恐れを持って生きることではなくて、平安の内に歩むことを望んでいます。神様は神様の全てを私達に与えたいと思っています。平安もその一部です。平安は神様によって一方的に与えられるものです。
平安をどのようにして受けるのか
私は色々な自分の経験と他の人の話を聞いて、絶対こすれば平安が与えられるという、単純ないわゆるHow Toはないと思っています。でも、結局二つのことだと思います。
- 祈りによって、自分の心配、不安を神様の前に出して、ゆだねるということ。
- 神様につながり続けることを通して、聖霊を受ける。
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