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礼拝メッセージ
2006年5月28日
「選ばれ、遣わされ」
ヨハネの福音書 17章11-19節
今日の聖書箇所はイエスが十字架に架かる前の晩に、弟子達と共に過越しの食事をしていたイエスが天の父に語りだした言葉です。言い換えると、これはイエスが弟子達のために祈った言葉です。弟子達のために祈った言葉から、イエスの弟子になるということはどのようなことなのかを学び、それぞれの生活に活かすことができます。特に今回の箇所から学ぶべきことは、同じ過越しの食事中にイエスの言った言葉で、同じヨハネの福音書で15章16節に残されている言葉を確認することです。ヨハネ15章16節、イエスの言葉、「あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたが私の名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」
イエスは弟子たちが守られるようにと祈っている (11-13節)
全ての人は神様の目から尊く、特別な存在です。神様が一人一人をどれだけ大切に思っているかを垣間見るだけで、私達はそのすごさに驚きます。それと同時にクリスチャン一人一人に対して神様がどのように見ているかを知る必要があります。クリスチャンを神様が守ろうとしています。イエスを十字架に架けた人たちは、弟子達をも憎むようになるでしょう。また、イエスを裏切ってしまった弟子のように、イエスを裏切ろうとする誘惑もあるでしょう。そこから守られて、常にクリスチャンが神様と共にいる喜びを知れるようにと祈っています。
イエスの御名によって
聖書はイエスに天においても地においても一切の権威が与えられている(マタイ28:18)と教えています。この方の名を使って私達は神様に祈ることができます。これはクリスチャンの方に与えられた特別な約束です。
分けられている (14-17節)
クリスチャンはこの世とは分けられています。これは言い方を換えれば選ばれていると言えます。これは神様を体験し、神様の性質を自分も身につけつつ生きるために分けられています。この生き方は世の持つ価値観とは必ず違いがでます。聖書ではこの生き方こそ、神様が人間を最初に創った時のあるべき生き方だと教えています。
遣わされている (18-19節)
イエスは全ての人間とは決定的に違っていて、罪を持たないものとしてこの地上に来ました。これは分けられていた、神様にそのように選ばれていたと言えます。その目的は神様の救いの道を開くためでした。神様自身を私達に教えるためでした。クリスチャンの人もこの地上で分けられている、選ばれているは、この地でイエスによって与えられた救いの道を伝えるためであり、神様自身を人に伝えるためです。私達自身を捧げるように教えていますが、すでに私達のために、キリストが捧げられているということを忘れてはいけません。
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