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礼拝メッセージ
2006年7月9日
「十分なめぐみ」
コリント人への手紙 第二 12章7-10節
今日とりあつかう題材は、「誇り」です。よく人間のコンプレックスと傲慢さが表裏一体になっていると思うのですが、皆さんはどう思いますか。私はコンプレックスも傲慢さも人間が正しい誇りを持てなくなった結果ではないかと思っています。私達は何をどのように誇るべきかということを、今日の聖書箇所から学べます。
この手紙の著者パウロはすごい幻を見た
パウロは今まで誰も見なかったような神様の国、天のみ国についての幻を見たそうです。そのような幻を見ることができる人は、なかなかいません。どうしてパウロが見ることができたのでしょうか。はっきりとした答えは神様しか知らないのですが、おそらくパウロが特別な働き人であり、神様がこの特別な者に特別な幻を見せることを通して、特別な働きを行なえるようにしたのだと思います。このようなことがあれば、人間はパウロがいかにすごいかに注目すると思います。またパウロ自身もそのように思えたようです。
一つのとげ
しかし、そんなパウロが傲慢になることがないようにと、神様が一つのとげをパウロに与えました。とげと呼ばれているものは、なにかしらの病気のことだと思われます。パウロはいくつもの奇跡を神様によって行ってきました。何人もの人がパウロの祈りによって病気がいやされてきたのですが、この病気に関してはパウロが祈ってもいやされなかったのです。このことを通して、パウロは決して完全ではなく、神様の前にあっては一人の人間にすぎないことがはっきりとしました。
神様のめぐみは人に十分なのは、神様の力は人の弱さの中に現れるから
パウロに与えられた神様からの言葉です。私達は自分が弱い時に、思い通りに行かない時に神様に助けを求め、「なぜ何々のようにならないのか」と思って、そのようにしてくださらない神様が自分とは関係がないように思えることがあります。そこで神様が私達に伝えたい約束は「神様が私達に与えてくださるものは、十分なのは、そんな状況の中に神様がいてくださるから」ということです。それぞれの具体的な問題に神様が共にいてくださるということが約束です。
私の弱さを誇る
パウロは自分が素晴らしい体験を与えられたことを誇らないで、自分の弱さを誇ると言いました。なぜならば、弱さの中にこそパウロは神様をよく知ることができるからです。つまりパウロが誇りとしているのは、神様ご自身なのです。
何をどのように誇るかの答えは、エレミヤ書9章23-24節にあります。
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