|
礼拝メッセージ
2006年7月16日
「神様を認める人生」
サムエル記Ⅱ 7章17-21節
今日の聖書箇所はダビデの祈りについてです。ダビデはユダヤ人にとって最高の王様になりました。彼と、彼の息子が王の時に国は安定し、経済的にも豊かな時をすごしました。ダビデは王の家に生まれたのではなく、普通の家庭に生まれ、羊飼いをしていた人です。彼は主への信仰があり、たくさんの賛美の歌を詩篇に残していて、預言もしていました。この人は女性問題という大きな失敗があり、その結果か子供達との関係も悪く、子供達の間の関係も悪いという問題がありましたが、神様から大変祝福された者でした。その人の信仰について学んでみましょう。本当はダビデは自分の指揮のもと神殿を建てたかったのですが、それはできないという預言が預言者ナタンのもとにきて、その預言を聞いた後に祈った祈りです。
謙遜・信頼
ダビデは大変苦労して王様になった者でした。また、あらゆる面において非常に才能のある人でした。普通なら、自分がこうしたからとか、自分だからこうなれたとか、自分の苦労の経験のおかげであるとか、色々なことが言えるはずですが、ダビデは神様がこのようにしてくれたと認識していました。そして、神様が自分の人生を導いてくれて、それは必ず良いものであると信じていました。この預言を受けた時に、なぜ自分はできないのかと腹を立てることがあっても、おかしくなかったと思うのですが、その預言を受け入れて、神様の計画は必ず良いものだと認めていました。
神様の定めについて
私達は自分の力ではどうにもならないことに直面したり、あまりにも幸運と思える出来事に遭遇すると、これは運命だったのかもと思うことがあります。このことに聖書的に応えていくならば、実際に私達の人生には自分の力だけではどうにもならないことがたくさんあって、それらは天におられる創造者である神様が、特別に導いている部分があっても何もおかしいことはありません。しかし、全てのことは神様の御手の内にあると言えますが、神様は人間に自由に考え判断することを与えているので、全ての行動が神様に支配されているわけではありません。この神様の定めと人間の自由意思について、深く探っていけば、誰も明確な答えを出すことはできない問題で、いつも議論になるものです。今日の聖書箇所の手前にあるナタンが受けた預言の中にも、「もし、彼が罪を犯す時は」(14節)と言う言葉が入っています。神様の預言の言葉の中にも「もし」という言葉が入ります。そして大切なことは、もし私達が神様の教えに従うならば神様は私達を大いに祝福するということです。
賛美の人だった
ダビデはいつも神様を信頼し、神様の導きを感謝し、賛美する人でした。詩篇34篇にはダビデが苦悩の時にも神様を賛美している姿があります。賛美は信頼している者ができることです。
|