礼拝メッセージ
2006年9月17日

「信仰は行動が伴う」
ヤコブの手紙 2章1-5節、14-18節

今日の聖書箇所は先週に引き続きヤコブの手紙からです。今日は、第2章から二つのテーマを学びます。一つ目はお金持ち、貧しい人を分け隔てしてはいけないとうことです。二つ目は信仰があるのならば、行動が伴うはずだということです。

分け隔てしてはいけない (1-5節)
私達の社会では、お金持ちかどうか、どのぐらいお金持ちか、どのぐらい儲けているかによって人が評価されることがよくあります。聖書ではお金持ちになることを禁じているわけではありません。旧約聖書には信仰のある者が、その信仰のゆえに経済的にも祝福されることが何度も出てきます。
ここで問題なのは、私達がお金持ちと、そうではない人を教会の中で分け隔てしてはいけないということです。これは、教会の中の問題を言っていますが、それはもちろん教会から一歩出れば関係ないというものではなく、神様が私達を分け隔てなく見ていること。この社会の価値観とは関係なく、神様は私達一人一人を大切に見つめていることを知ることが大切です。
実際、多くの比較的貧しい者たちが信仰に入っていました。そして、キリスト者を迫害する者たちは、比較的富んでいる人たちでした。
参考聖書箇所:マタイ19章16-26節、ヨハネ19章38-40節

信仰は行動が伴う (14-18節)
キリスト教の教理を間違えて理解していて、イエスは神の子であり、救い主だと認められたら、救われると勘違いしている人が時々います。もし、そうならばサタンたちも救われることになります。新約聖書を読んでいると、サタンの方が人よりも明らかにイエスが神の子、救い主だと理解していたことが分ります。新約聖書のメッセージは「悔い改めて、福音を信じなさい」です。悔い改めてということは、自分の罪の性質を認めて、その性質から離れることを決意することになります。ですから、イエスを信じているということは、その人の行動は変わっていくはずです。信仰があると言いながら、行動が一切変わっていないと言うことは、その人は口先だけの信仰で、本当に悔い改めていないのではないかという疑いが持てます。
私達は変えられた行動によって、神様によしとされて、神様の国にはいるのではありません。悔い改めて信仰をもったからよしとされるのです。しかし、信仰があると言いながら、悔い改めていないのは、信仰があるとは言えないことになります。

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