礼拝メッセージ
2006年9月24日

「誰が一番ではなくて」
マルコの福音書 9章30-37節

私が10代の頃の悩みで、今思えばバカバカしく思えるものの一つに、相撲取り貴花田(後の横綱、貴ノ花)と自分を比べるというものがありました。同じ歳なのに方や年収1億円以上と言われる相撲取りで、方や時給700円のアルバイトしかできない、特に特技もない学生ということで、私は自分が嫌いになったり、何か焦っていました。私はその時はまだ神様の言葉を聴くことができない人だったのですが、今思えば、この聖書箇所からちゃんと神様の言葉を聴き、神様の前に自分はどのような存在なのかを理解していれば良かったのにと思います。そうすれば、自分を嫌いになることもなく、焦ることもなく、幸せに暮らせたのにと思います。

弟子たちの議論
弟子たちは旅の最中、誰が一番偉いからを議論していました。しかもこの議論をしていたのは、彼らの先生、イエスが「自分はこれから殺される」という重要な予告を出した直後でした。彼らはイエスの力は見ていましたが、イエスが十字架に架かるためにいるという事実をまったく理解できていませんでした。

イエスの答え1.仕える者になりなさい
イエスは一番偉い者は、一番仕える人だと言いました。普通私たちの社会では、誰かが偉くなると、その人に仕える人が増えるのですが、イエスは人に仕える者こそ偉い人だと言いました。私たちの社会でも、威張っているだけの偉い人はいつかはその座を失うと考えられていると思いますが、イエス様はそれよりもさらに、人に仕えることこそ大切であることを教えました。

イエスの答え2.イエスの名のために、幼子を受け入れる者は、イエスを受け入れる
たとえば、私たちが世界中の人間の中で誰かを、世界中のどのレストランにでもいいから招待できると言われたら、あなたは誰をどのレストランに招待するでしょうか。人によっては大統領を、高級レストランに案内にしようと考えるかもしれません。このイエスの教えで言うならば、そこで普通の貧しい家庭の子供を一人招待するということになります。このことをイエスを思い起こしてしたのならば、あなたは子供を招待したのですが、イエスを招待したことになると言いました。

イエスの答え3.イエスを受け入れる者は、イエスを遣わした神様を受け入れること
イエスはただの人ではなく、天地創造の神様から遣わされた、神と同等の方ですから、イエスを受け入れるということは、天地創造の神様を受け入れるということです。

イエスが仕える者であって、イエスが受け入れる者
私たちがここで忘れてはいけないことは、仕える者になりなさいと言ったイエスが、私たちに仕えて下さっていること、私たちを受け入れてくださっていることです。

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