礼拝メッセージ
2006年10月8日

「捧げられた人生」
ヘブル人への手紙 2章9-11節

「自分の一度きりの人生だから、自分が好きなように生きてみたい」とは、誰もが一度は思ったことだと思います。そういう風に思うのは、きっと自分が好きなように生きられないことがあるからだと思います。好きなように生きるのではなく、神様が定めた生き方をしてみてはどうか。そして、神様の定めた生き方をすることこそ、実は自分の好きなように生きたいという欲求を完全に満たすという、矛盾した話が今日のテーマです。イエスという方は神様に定められた通りに生きた方ですから、その人生を学ぶとこのテーマが見えてきます。イエスの人生を振り返ってみましょう。

天使たちよりも、わずかの間低い者とされた(9節)
この地上に存在した人間で過去、現在、未来で唯一、存在の始まりもなく、終わりもない永遠という存在を持つ方がいました。それがイエスです。イエスは天地創造の神様の側にいたのですが、この地上にやってきました。それを天使よりも低い者となったと表現しています。イエスはわずかの間、つまりイエスの人生の間ですから30数年間、まったく人としてこの地上にいました。

救いの創始者を数々の苦しみを通して完全なものとされた(10節)
イエスにはこの地上で救い主としての働きを行うことと、行わないことの選択権が与えられていました。それはイエスが誘惑を受けたこと、ゲッセマネの園での祈りなどから分かります。イエスのように神の力を持った者が、もし自分の肉の欲に従って生きたならば、想像を絶するものになっていたことは間違いありません。しかし、イエスは神様の定めの通りに生きました。その結果は数々の苦しみでした。その最も象徴的な出来事が十字架での死です。

栄光と栄誉の冠を授けた(9節)
イエスが全ての面で神様の思いに従ったので、神様はイエスに栄光と栄誉の冠を授けました。それは、復活して再び天地創造の神様のもとに帰っていき、天においても地においても一切の権威が与えられたことを言っています。

私たちがイエスの兄弟となる(11節)
イエスを救い主と信じた者には、イエスの兄弟として、つまり神様の子として、受け入れられる約束が与えられました。この約束を与えたのは、イエスをこの地に送り、また栄光と栄誉の冠を授けた天地創造の神様です。

イエスの生き方を学ぶと、常に神様の思いを優先したことが分かります。そしてその結果が神様の与える最高のものを受け取ることでした。私たちもこの人生を歩めるように招かれています。神様の思いを優先することは、自分の好きなようには生きられないことのように見えますが、実際には自分の好きなように生きること以上のものが与えられるということになります。

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