礼拝メッセージ
2006年11月19日

「永遠に続くもの」
マルコの福音書 13章24-32節

教会の暦では、来週が一つの区切りで、再来週のアドベントの開始から新しい一年が始まります。これを機に説教ノートも新しい形式に変えようと思っています。この形式の説教ノートは一応今日が最後で、またすぐに復活させるかもしれませんが、色々と試していこうと思います。

永遠に続くもの
今日の大切なテーマは永遠に続くものはあるか?ということです。太陽を研究している人から聞いたのですが、太陽も永遠に存在するものではないそうです。いつか、それこそ果てしない天文学的数字の年数後には太陽も燃え尽きるそうです。聖書ではこの天地に異変が起きることと、天地創造の神様がこの天地に終わりを与えて、新しい天地を創ると書いてあります。(マルコ13:31、ヨハネの黙示録21章等)しかし、「私の言葉」は決して滅びないというのがイエスの主張でした。この言葉自体、イエスが神であること、救い主であることを主張していて、また永遠に続くものがあることを教えていると言えるでしょう。永遠に続くものは神様です。

終末の時
聖書では現在の天地が滅びる時を終末の時と呼んだり、主の再臨の時と呼んでいます。主の再臨と時というのは、この終わりの時にイエスが再びこの地にやってくるということです。今日の26-27節をご覧ください。
始めて聞く人にとっては、どうして、そんなことが聖書に書いてあって、またそれを信じている人たちがいるのかと驚くと思います。
この終末のことに関しても、十字架のできごとと同じで、その根本には神様の愛があります。神様は一人一人を愛しているので、全ての人の罪をあがなうことができる犠牲として、イエスが捧げられました。これが十字架のできことです。その後、その福音を聞き、信じた人たちがいます。その信じた人たちはそれぞれこの地上での生涯を終えた後、神様のもとに永遠に生きるのですが、この地上にいる人たちの生活は変わりません。いつまで、この不完全な地上での生活が続くのでしょうか。戦争はどこかであって、身近にも人殺しまではなくても、人格を否定するような事件があったり、それぞれの苦しい時があります。その時に終わりを与えるのも神様の愛から来ているものです。マタイの福音書22章と25章ではそれぞれ、婚宴が終末の時のたとえとして出てきています。もし終末の時が裁きの時して注目されるならば、このようなたとえにはならなかったでしょう。

いつがその時なのか
今日かもしれないし、明日かもしれませんが、今日の32節にはっきりと「ただ、父だけが知っておられます」と書いてありますから。私達には分かりません。時々、だれかが「色々と調べた結果、何年の何月あたりでしょう」と言う人が出てきますが、そのような話は聞き流すべきだと思います。私達はただ神様だけが知っていると教えられています。

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