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礼拝メッセージ
2008年4月6日
「見えているのに、見えなかった」
ルカの福音書 24章13-32節
あらすじ
今日の聖書個所はイエスの復活の姿を見た二人の弟子(12弟子には入っていない弟子達)の話です。彼らはイエスが復活した日に11キロ(7マイル)離れた所に歩いていました。二人はイエスの死について、そして朝イエスの復活のニュースを天使から聞いたという仲間の女性について話していました。イエスは別の姿(マルコ16:12)で二人に近づき、二人が何を話しているのかを聞きました。彼らがイエスの死という残念なニュースと、復活という信じられないニュースについて話したら、イエスが二人の信仰の無さを指摘して、旧約聖書に書かれている預言の通りになっていることを教えました。二人はイエスだとは知らずに聞いていたのですが、あまりにも良い話だったようで、目的地に着いた時、イエスに一緒に食事をしてくれるように頼んで、食事をし始めた時に、イエスだと気がついたのですが、その時には、その姿が見えなくなりました。彼らは仲間のいるエルサレムに急いで帰りました。彼らが仲間の所についてから、イエスはみんなの前に現れました。
信仰がない者、目をさえぎられている者
二人の弟子はイエスが神様から遣わされた者、救い主と信じてついてきた者たちのはずです。しかし、彼らも復活については信じることができませんでした。イエスは復活について信じることができないことを指摘しただけではなく、旧約聖書によって教えられていた教えを理解していなかったことも指摘しました。これが人間の性質のようです。私たちは信じていると言いながら、気がつくと自分の常識に当てはめて神様を見ていたり、自分の願望にあてはめて神様を見ていることがあります。イエスは復活しました。それは自分の常識を超えるものでした。イエスは救い主として、苦しみを受けて死にました。それは自分が願う救い主の働きではありませんでした。
目が開かれる
二人の弟子は目が開かれて、イエスだと気がつきました。「開かれて」というのが、全部自分の力によってとは思えません。神様の働きによって彼らの目が開かれたのでしょう。そしてなぜか、理解したとたんにイエスは姿を消しました。彼らはせっかく11キロ離れたところに歩いて来たのに、すぐに引き返して、復活のニュースを仲間に伝えにいきました。イエスはこの伝えに行くということも予測して、この二人に現れたのか、どうして二人に現れたのかが謎です。現代でも、どうして私が神様の救いを知るようになったのか謎という人が多いと思います。そして、知った人は何とか伝えたいと思って、出かけていっています。
今日学べること
- 私たちの目はしばしばさえぎられている。「神様私に語ってください」という姿勢、聖書をよく読んで理解することが必要。
- 私たちの目が開かれる。私たちの神様に対する姿勢は大切ですが、神様を理解するためには、神様によって目が開かれることが必要。神様は私たちに教えてくれる方です。
- イエスの復活を知った人たちは、エネルギーが与えられ、心が燃えていた。
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