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礼拝メッセージ
2008年5月25日
「イエスによって変えられる」
コリント人への手紙 第二 5章17節
多くの人が変わりたいと思っています。神様の約束は、私達が日々神様のような正しい方へと成長していくことですから、私達は変えられると言っていいでしょう。人によっては劇的に変えられる人もいますし、人によっては回りの人からはどこが変わったか分からないという人もいるでしょう。神様は確実に私達を変えることができます。私達が変わることは、私たちを幸せにして、私達の周りの人への大きな祝福にもなります。
ヨハネの福音書21章20-22節 「あなたは私に従いなさい」
私達は周りの人に変わってもらいたいと思います。もちろん、神様にその人たちを祝福してくださいと祈ることはできます。しかし、自分の都合のために、その人たちを変えてくださいと祈るのが間違いであることは、すぐに分かることでしょう。神様は、まず私達に神様に従いなさいと教えました。他の人のことではなくて、まず私自身が神様に従うということが求められています。神様は私が従えば、私を変えることができます。しかし、他人のことを神様が変えてくださるかどうかは、最終的には自分ではどうにもできません。ただ一つ大きな希望を持てるのは、一人の人が変わるとその近くにいる人も変わっていきます。イエスは、「周りの人を変えてきなさい」とは言わなかったのです。「イエスを証する人になりなさい」と弟子達に教えられました。「私がキリストを証する者になれば、あの人も変わる。」その可能性は充分にあります。
イエスキリストを受け入れること
私達が変えられるには、まずイエスをキリスト(救い主)として受け入れることから始まります。第二コリント5章15節では、私達の変化がどこから来るかが書かれています。「自分のためではなくて、キリストのために生きる」ことが書かれています。私達の多くは自分の作った価値観に従い、自分のため、あるいは自分の身近な人のため、自分に利益を与えてくれる人のために生きています。それを、「自分のため」にと言っています。「キリストのために」というのは、キリストによって与えられた価値観に従い、キリストに喜ばれる生活をすることです。「誰かのために生きる」と聞くと、いい感じがしないかもしれません。私達は奴隷のようになると感じるかもしれません。しかし、そうではなくて、すでに私達のために死んでくださった方のために生きるのです。それは、奴隷になることではなくて、命をかけて愛されていることに対して、命をかけた愛で応えることです。
新しく造られる
私達が新しく造られるというのは、神様の霊が私達を包み、私達を変えていくことです。創世記で神様がこの天地を創ったことだ書かれています。そこでは、聖霊が全てを覆っていたことが書かれています。イエスは信じた者が聖霊で覆われることを約束しました。天地創造の神様の力によって私達は造り変えられるのです。私たちは神様の教えに従うという決意をしなくてはいけません。それは、確かに私たちのすることです。それから失敗するたびに、罪を告白して(悔い改めて)神様からの力を受ける必要があります。私たちは悔い改めるたびに、神様からの力をいただき、神様の教えに従うことができるようになります。
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