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礼拝メッセージ
2008年6月8日
「赦されること、赦すこと」
ルカの福音書 23章32-35節
人間関係にまつわるメッセージの三回目は赦しについて学びます。赦しというのは、神様が私たちに与えてくれた素晴らしいもので、神様から与えられた赦しを学ぶと、私たちも人を赦せるようになります。
私は赦すということに関して、大きく三つに分類できると思います。
- 相手から本当に悪いことをされていて、相手があやまってきた。
- 相手が本当に悪いことをしているが、あやまってこない。
- 自分は確かに怒っているけれど、相手には悪気も無かっただろうし、向こうにも充分言い分があると思えた。
これらの三つの状況に関して、聖書がどう教えているかというと、
- この場合はまったく赦して、された悪いことを無かったことのようにしてあげて、和解する。
- 関係の回復はできない。人間関係としては距離を置かなくてはいけない。でも、その人にたいして心の中で怒るのを抑えて、その人の祝福のために祈る。
- 神様にあって愛することを学び、赦すこと、受け入れることができるようにする。
いずれにしても、私たちは赦すことになります。私たちは赦すようにと言われて、本当に自分の力で赦すことができない時もあります。しかし、私たちは神様の力によって赦すことができます。私たちがしなくてはいけないことは、
- 神様が赦す神様であることを知る。
- 自分が神様に赦されていることを知る。
- 自分も赦す必要があることを認める。
- 赦す決意をする。
- 神様の助けを求める。
神様の怒りはすごいけれど、赦しもすごい
旧約聖書を読むと、神様の怒りのすごさに驚きます。新約聖書に出てくる、命を懸けて愛するイエスによって示された愛の神様とはまったく違うと感じることがあります。それは、新約聖書に出てくるイエスによって示された愛が、あまりにも尊く、すばらしいものだから、神様のもう一つの性質である「聖」の部分を見ていないのではないでしょうか。もし、神様が悪を許容してしまうのなら、神様も悪になります。神様は悪が行われるのを我慢していますが、いずれその悪に対しても裁きが下されるというのが、聖書の約束です。自分の悪の部分を神様の前に出された時に、私たちは滅ぼされるはずですが、その滅びを身代わりに受けてくれたのが、イエスです。イエスが十字架にかかってくれたことによって、私たちは滅びという罰を受けたことになって、無条件で赦されるのです。
日々、私たちは罪の告白という祈りが必要
人間は誰でも、自分が正しいと思い込む性質をもっているようで、なかなか、自分の悪かった部分を認めることができません。そこで、私たちは本当に定期的に神様の前にこう祈る必要があります。「神様、私があなたの前に喜ばれないこと、間違ったことを行っていないでしょうか。教えてください。」そして、神様から何か示されたら、それを告白して、罪が神様が赦してくれていることを確認します。第一ヨハネ1:9
私は赦します
私たちは、神様に赦されている事を覚えて感謝します。それから、私たちも誰かを赦すことを神様に宣言します。それは、神様に自分の決意を述べるのです。私たちが決意した時、神様は助けてくれます。こんな祈りをするといいでしょう。「神様、私は誰々のことで、何々のように思っていますが、私はあなたが私を赦してくれた故に、私も赦すことにしました。私のこの決意をも持ってくださり、私の心の傷を癒してください。」
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