礼拝メッセージ
2008年7月6日

「分かち合う」
ローマ人への手紙 12章15節

人間関係に関わるメッセージをしてきましたが、来週の「仕える、助け合う」というテーマで終わります。次のテーマは、キリスト教信仰の土台についてです。

私たちが他人の喜び、悲しみに無関心であったら、そこに愛があるとは言えないでしょう。もし、私たちが大切に思う人が喜んでいるのならば、共に喜ぶでしょうし、悲しんでいるのならば、共に悲しむと思うのですが、わざわざこのことを聖書で言っているのは、これは当たり前のことではあるけれど、時には難しいことです。時には意識的に行わなければできないとです。得に悲しむ者と共に喜ぶというのは、自分の感情をコントロールしたいので、悲しむのを恐れることが多いのではないでしょうか。

私たちは誰かを通して、より神様に感謝することができたり、より神様からの慰めを受けることができます。私たちは誰かを通して、神様からの働きかけを受けるということは、私たちが誰かのために、神様に遣わされることがあるということです。そして、それは実は、毎日それぞれが誰かに遣わされているがあります。

ヨブ記に出てくる友達たち
ヨブが大きな災難に遭い苦しんでいる時、3人の友人がお見舞いに来てくれました。友人たちの心意気をとてもすばらしく、彼らは一週間の間、ヨブと共に悲しみました。しかし、一度議論が始まると、友人達はヨブに災難が降り掛かったのは、実はヨブが悪いからではないかと責めてみたりして、ヨブは余計に苦しみ、かたくなになっていきました。私は友人達の思いがとてもよく分かります。何か言いたくなってしまうのです。本当に共に悲しむというのが、なかなかできなくて、ついつい無理な励ましの言葉を言ってしまったり、時にかなっていない諭しをしてみたりします。

共に喜ぶことは、共に賛美すること、共に力を受けること
私たちが神様を信じる者同士で共に喜んだならば、神様を賛美することになります。そして、神様を賛美するならば、私たちは神様から力を受けることになります。

表現すること
私たちは神様に願いを打ち明けるようにと教えられています。(ピリピ4:6)私たちは神様に正直に向き合うことが大切なのですが、時には、自分の正直な思いを表現できないことがあります。まず、神様に対して自分の正直な思いを表現できるように努めることが必要だと思います。そうすることによって、他の人にも表現できるようになるでしょう。

心を開くこと
私たちは共に喜ぶ者と喜び、共に悲しむ者と悲しむように教えられていますが、実際には、それをしたくても、心を閉ざしていてできないことがあります。神様に対しても、人に対しても心を開くように努めることが必要になるでしょう。そのためには、自分に対しても偽りがなく、自分の弱さを理解していて、それを正直に言える環境が必要だと思います。しかし、なかなかそのような環境がないのも事実です。そこで私たちは神様に目を向けます。神様は私たちの弱さもご存知で、私たちを受けれてくださっている方です。その方の前で心を開くことから始めることができます。

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