礼拝メッセージ
2008年9月21日

「ニコデモの生涯」
ヨハネの福音書 3章1-21節、7章50-52節、19章38-42節

ニコデモはパリサイ派に属しユダヤ人の指導者だった。パリサイ派というのは、当時のエリート層の人たちが形成している宗教集団で、エルサレムを中心に各地で、宗教の先生という立場にいた。

パリサイ派の人たちは、ガリラヤ地方(エルサレムから見たら東北地方の田舎)から出てきた若いイエスから学ぶものなどなく、ましてや、救い主としてどころか、神様から遣わされた者とさえ認めていなかった。ニコデモが夜にイエスに会いに来たのは、他のパリサイ派の仲間に見られたくなかったからという推測がある。

イエスは神様から遣わされた者として、神様の教えについて話したが、ニコデモはそれを理解することができなかった。それは、ニコデモがそれまで学んできたこととは違う事柄だったからだろう。パリサイ派の人たちは、聖書を学んでいたが、その結果、「何をすればいいか」という行い中心の教えになっていて、神様の愛が語られなくなっていた。そのため、イエスの教えはパリサイ派の人には理解できない新しい教えになっていたのだろう。

今日はニコデモさんから三つのことを学びたいと思います

1. ニコデモは自分の地位を誇り、そのため傲慢になるような人ではなかった
私たちはしばしば自分に与えられた地位や、立場によって傲慢になってしまい、自分のあるいは、自分の属するグループの考え方に固執してしまうと失敗をすることがあります。ニコデモさんは、イエス様の行いを見て、言葉を聞いて、素直にこの方は神様から遣わされた方だと認めることができました。

2. ニコデモはよく勉強する者だったからこそ、理解できないことがあった
私たちは聖書を学びます。しかし、頭だけで神様の教えを理解できるわけではありません。聖霊なる神様によって教えられて、神様を理解することができるようになります。頭で理解できるものだけを受け取っていては、神様を理解することはできません。

3. イエスが教えようとしたことは、愛であって、新しい希望、福音だった
神様は確かに私たちに良い行いをしなさいと教えています。神様は確かに人は裁かれるということを教えています。しかし、イエス様がニコデモに教えようとしたことは、人が霊によって生まれ変わること、ご自身の死によって赦しが与えられること、神様に愛されていることでした。

自分について考えてみよう

  1. 私たちは自分の地位のゆえに傲慢になっていないか。
  2. 神様の教えよりも自分の教えを大事にしているところはないか。
  3. ニコデモのように周りの人に左右されるのではなく、神様を見上げているか。
  4. 神様が私を愛しているという教えを素直に受け取ることができるか。

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