礼拝メッセージ
2008年11月2日

「自分を低くする者は」
マタイの福音書 27章1-10節

今日はイエス様の言葉から学びます。聖書ではよく悔い改めることを強調します。悔い改めるとは、一言で言うと、「自分中心から神様中心」に方向転換することです。今日はこの悔い改めることと、非常によく似たテーマです。「おごり高ぶらない」というのが、今日のテーマです。最初に結論を言っておくと、「おごり高ぶらない」ためには、よはり悔い改めることが必要です。そして、私はもう二つ大切なことがあると思います。いつでも気をつけることと、神様に認められていることを知り続けることです。

パリサイ人の言葉は聞きなさい。行いは見習わないように。
イエス様の時代の宗教の先生と呼ばれている人たちに対して、その教えは間違えていないけれど、行いが間違えていると言いました。実は今日の聖書箇所の直後に、パリサイ派の人たちの教えが間違えていることも語りますから、ここで言いたいことは、パリサイ派の教えが正しいということではなくて、聖書の教えが正しいので、聖書の内容を正しく教えている場合はその教えをよく聞きなさいということです。

なぜ行いを見習わない方がいいのか
パリサイ派の人たちの問題点を二つあげました。

  1. 厳しい教えを人に教えるけれど、自分はそのような教えを守る気がない。実際にあからさまに守らなかったら、あまりにも変なので、パリサイ派の人たちもさすがに気をつけたと思います。ここではおそらく、見た目には神様を大切にしているように見せるけれど、実際には心の中では自分の利益を守ることしか考えていないということでしょう。そこで、二つ目の問題点とつながります。
  2. 「先生、先生」と呼ばれて人の注目を受けることを好んでいて、神様に見せる行動よりも、人に見せる行動が多い。

先生、父、指導者(師)と呼ばれてはいけない
イエス様は神様だけが唯一まことに私たちを教える方なので、それ以外の人たちはみな神様にある兄弟姉妹でしかなく、先生、父、指導者と呼ばれてはいけないと教えました。
このみ言葉を読むたびに、現在の教会を思い出します。先生と呼ばれる人たち、Fatherと呼ばれる人たち、そして「牧師」と呼ばれているのも言ってみれば、「指導者」と呼ばれているわけで、「あれれこれはどういうこと」と思ってしまいます。
新約聖書の使徒の働き、手紙類を読んでいると、そこには明らかに使徒と呼ばれる教える立場の人たちがいます。また、教会の中には監督者とか、長老と呼ばれるリーダー達がいます。私たちが何かのグループを作っていくときに、このように指導していく者達と言いましょうか、リーダーの人たちが出てきます。聖書ではそのような立場を否定しているとは思えません。そうすると、このみ言葉は私達の内面を特に気をつけるように教えていると思います。神様だけが本当に私達の教師、父、指導者になっていることを覚えることです。そしてこれは特に、教会のリーダーになっている人たちが覚えなくてはいけないことでしょう。

自分を低くする者は高くされる
これは、まさにイエス様そのものです。神様の立場としてではなく、人として十字架に架かるまで、ご自分を低くされました。そのことによって全ての人の救い主となられたのです。私達はその方を知って、その方を唯一の先生、父、指導者として教えを聞くだけではなくて、見習うことを勧められています。

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