礼拝メッセージ
2008年11月9日

「神の国は今ここに」
ルカの福音書 17章20-25節

神の国
聖書には神の国と呼ばれる所があります。イエスの宣教活動はこの神の国に人を招き入れるためのものでした。神の国とは、神様が完全に統治する場所であり、私たちは天国という言い方でも表現する場所です。今日の聖書箇所を理解するためには、次のことを理解していなくてはいけません。旧約聖書においても、新約聖書においても、この世界の終わりと新しい世界の始まりについて語られています。この天地を創造なさった神様が、いつの日かこの天地を滅ぼして、新しい天地を創造すると言うのです。その新しい世界には、神様に罪を赦された者が入ることができます。この新しい世界のことを、神の国とも呼んでいます。今日の聖書箇所で「神の国はいつ来るのか」と聞かれた時の神の国は、この新しい天地のことを聞いているようです。

「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
イエスはやがて来るこの天地の終わりのことをこの直後に話しています。ですから、神の国がやがて現れることを否定してはいません。
イエスは神の国はただ待っているものではなくて、今もすでに体験できるものだと教えました。やがて来るものを、ずっと待つという姿勢ではなく、今すでに神の国を体験できるという教えです。もちろん、今体験できる神の国は完全なものではないのですが、私たちの心から広がっていくものです。

ヨハネの福音書7章37-38
私たちの心に聖霊がやってきて、その状態は私たちの内側から生きた水が川となって流れ出るようなものだと教えています。ここで学べることは、私たちの心が潤うということ。それは一時的なものではないこと。それは自分の中だけに留まるものではないこと。
私たちが受ける聖霊は私たちを潤すだけではなく、あふれ出て周りの人にも影響を及ぼすことが教えられています。


ヨハネの福音書の中で、イエスは「今がその時だ」と言う内容の発言を何度かしています。ヨハネ4章23節、ヨハネ5章25節。いずれも、待ちに待った救い主が送られてきた、今がいかに貴重な時であって、その今こそ人は神様を知ることができるというものです。私たちの人生にはそれぞれ時があります。喜びに満ちる時もあれば、悲嘆にくれる時もあります。人類の歴史の中にも時あるとしたら、イエスの時から始まって、今も喜びの時だと言えます。なぜなら神様を知ることができるからです。

ヨハネの福音書3章18-21節
イエスを信じない者は既に裁かれているという表現で、今日の聖書箇所と同じ教えを逆の方向から言っています。私たちは今、神様を知ることができて、神様と共に歩むことができます。それは神の国をこの地上でも味わうことです。そして、そのことは私たちの周りの人にも影響するものです。

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