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礼拝メッセージ
2009年2月8日
「キリストの体が建てられる」
エペソ人への手紙 4:7-18
ヨハネ14:12
イエス様は弟子達にご自分のこの地上での働きをゆだねました。そして、私よりも大きなことをすると言いました。私はこの箇所がどうしても分かりません。どうして、私たちがイエス様よりも大きな働きをすることができるでしょうか。これは、ただイエス様が言っているので、それを受け入れるしかないでしょう。一つの可能性として言えるのは、私たち一人一人が集まって、一つとなった時、きっと大きな働きを成すのだと思います。
私たちは色々な立場に召されている
私たちはそれぞれ才能、経験が与えられていて、それぞれの立場に召されています。その召しを受け入れて、自分のできる最高のものを神様に捧げることができます。
教会をキリストの体と表現している
ここで言う教会はもちろん建物のことではなくて、一人一人が集まってできあがった、キリストの弟子による群です。これは、信頼によって成り立っている群です。まず第一の信頼は神様に対する信頼です。私たちが神様を信頼していることによって、神様から子とされて、キリストの体に参加できます。次に他のキリストの弟子の間にある信頼です。お互いを信頼し合う事ができなければ、一つの群になることはできないでしょう。
教会がこんな場所であって欲しい
- 心がみ言葉によって触れられて、聖霊によって思いが変えられる。私たちは肉体を持っているので、いつも神様から離れようとする思いがあることを否定することはできません。しかし、神様の言葉が心に語りかけてくれて、聖霊を受けているのならば、私たちが神様から離れることはないでしょう。
- 聖書から与えられた教理からずれていないが、縛られていない。私たちは聖書から神様の約束を学んでいます。その約束をまとめていって、教理と呼ばれるものができあがっています。聖書の解釈が難しいので、色々な解釈があって、色々な教理が作られてきたことを、教会の歴史の中で否定することはできません。しかし、中心はいつも同じです。イエス様によって与えられた福音が中心です。その中心を大切にして、後の部分で言い争ったり、裁き合うのは意味があることでしょうか。
- そのままのあなたが受け入れられると同時に、あなたが変えられるという召しを受けている場所。私たちはそれぞれ愛されていて、受け入れられています。私たちが変わらなければ、救われないということはありません。しかし、救われているということは、今の現状にとどまることではなくて、日々キリストに似せられていくことです。
- 礼拝のために集められれて、仕えるために散らされて行く場所。集まっているのは、神様が招いてくださっているからです。しかし、集まっているのは自分のためだけではなくて、神様に遣わされるためです。私たちはそれぞれの場所に遣わされて行きます。それは福音を伝えるためであり、神様の愛を実践するためであり、神様から与えられる祝福を実感するためです。私たちが行くのを待っている人たちがいます。
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