礼拝メッセージ
2009年3月8日

「神様の約束」
創世記 17:1-7

名前を変えた神様
アブラムは「偉大な父」という意味で、その名前からアブラハム「多くの人の父」という意味の名前に変えるように神様に言われました。その理由はアブラムの信仰のゆえに、彼を約束の民の最初の父とするということでした。この時点では子供もいない老人のアブラムですが、その子孫は多くの国民となるというのがアブラムに与えられた約束でした。私は初めてこの聖書個所を読んだときに、内容を正しく理解できなかったので、大変失望したのを覚えています。聖書の価値観も結局子孫の繁栄が一番大事なのかと思ったからです。子孫の繁栄という極めて個人的な願望をかなえてあげるというのが、神様の祝福なのかと思うとがっかりして、聖書を読む気がなくなった時がありました。私は7節の理由の部分を理解していなかったのが問題でした。

「私があなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである」
子孫の繁栄について神様は約束しましたが、それは実際にはアブラハムに与えられた約束のおまけの部分にすぎないことでした。子孫が多くの国民になると言っていますが、それも子孫に与えられた約束のおまけの部分にすぎません。約束の本当の中心は天地創造の唯一の神様が「アブラハムの神様」またその子孫の神様になることでした。これは個人的なものではなくて、神様と人との重要な永遠の祝福の約束です。神様の持つ永遠という性質を共に受け継ぐことができるという大切な約束です。

アブラハムの人生は「どうして?」がいっぱいだった
創世記12章で、神様がアブラハムに自分の国を離れて神様が示す場所に行きなさいと言われたところからアブラハム物語が始まります。自分の国を離れなさいということは、アブラハムにとって大きな挑戦だったことでしょう。子供がいなくて夫婦そろって歳をとったのに、神様から子供が与えられると言われました。そして、子供ができて成長した時には今度はその子供を動物犠牲として神様に捧げるようにと神様から言われました。実際には神様は動物犠牲として息子を捧げさせないようにしたのですが。神様に直接言われたこの3つのことだけではなく、他にも色々な「どうして?」と思うできごとに遭遇しています。神様が私達に持っている計画は、私達から見ると不思議なものだということが分かります。神様は私達の考えること以上のことを考えて、それを私たちに示してくれるのです。

マルコ8:31-33
イエスはご自分が十字架に架かることと、三日目に復活することを話しました。これは一緒にいた弟子達にさえも理解できない不思議な話でした。

マルコ8:34-38
イエスがこの地上に来たことによって、弟子達は人がどのように生きるべきなのかをまさに生きる模範として学ぶことができました。模範として学ぶことができるという点では、現在の私達も同じです。イエスは自分の生き方を、単純に言いました。そして、イエスの弟子として生きたいならば、そのようでありなさいと言いました。これは、大変厳しい言葉です。しかし、私達がイエスを見上げることができる時には、本当にこのように生きることができるようになっていきます。

「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。」
マルコの福音書8章34節

イエスは私達のために、ご自分を捨て、十字架を背負い、神様のみ心を行いました。

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