礼拝メッセージ
2009年7月26日

「奇跡の後に」
ヨハネの福音書 6:1-15

男で5千人以上、きっと1万人ぐらいの人をお腹いっぱいにさせたこの奇跡は、すべての弟子たちにとって強烈な印象を残したようで、キリストの復活以外で、キリストが行った奇跡で4つの福音書全てに書かれているのは、これだけなんです。

肉体的な必要をも満たす
先週の聖書箇所では、霊的に渇いてる状態の人たちの話をしました。そして、イエスは霊的な必要を満たすために、神様について教えていました。霊的な渇きを覚えて、霊的な必要が満たされるために、人里離れたところにやってきた群集を、イエスはお腹を空かせたまま帰したくなかったのです。霊的な渇きを覚えて、そのために何かを犠牲にする時が私たちにはあると思います。そんな時にも神様は私たちの必要を満たしてくれます。参照聖書箇所マタイ6章29-33節。

何の役にも立たないでしょう。五つのパンと二匹の魚。
私は個人的にこの何の役に立つでしょうかと弟子が聞くところが好きです。何の役に立つかって、普通に考えたら言うまでもなく、絶対に何の役にも立たないものなんです。そのことが確認されてから、イエスは役に立たせました。神様に不可能はない。役に立たないものも、役に立てることができる。神様にあっては、いつでも何か可能性がある。そして、一つ覚えておきたいことは、私たちもそんな存在です。役に立たないと思うような私も、神様は役に立てることができる。それは、とっても不思議なことですが、神様にはできるのです。神様はそれだけすごい方なんです。神様はみ心を行いたいと思った時には、どんな方法ででも、行うことができる方です。

奇跡の後で 14-15節
今日はここに焦点をあててお話したいと思います。イエスはご自分を王として担ぎ上げたい人たちを見て、山に退かれました。この時のイエスの気持ちを想像してみてください。大きな奇跡が行われた。人の霊的な必要だけではなく、肉体的な必要をも満たすことができた。その喜びにひたることもできずに、山に退かなくてはいけなかったのです。私はその孤独感を思うと、本当に申し訳ない思いがします。私もきっとその時の群集の一人ならば、同じようにしていたと思うからです。私たちは、神様のみ心(ご計画)はいつも分からないということを気をつけなくてはいけないと思います。私たちは時おり、今は神様の働きがこっちに向かっている、あっちに向かっていると勝手に決めつけることがあります。神様の計画は私たちが思うことや、願うことをはるかに超えてすばらしいはずです。
当時の人たちは王にしたい思いましたが、イエスはそれとは比較にならない、全人類の罪のあがないのために死ぬという重要な働きをしてくださいました。
王としてあがめられることは、十字架にかけられて侮辱を受けることに比べれば、本当に楽なことというか、気分の良いことだったはずです。イエスは私たちのために孤独を経験して、苦しみを経験してくださいました。私たちも孤独を経験することや、苦しみを経験することがあると思います。そんな時にこの聖書箇所を思い出してください。イエスは私たちにために乗り越えてくださいました。そして、私たちにも乗り越えることができるように力を与えてくださるのです。それが私たちに与えられている約束です。

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